2024.10.03
地域創生ディレクター 小倉 匡起
農業との二足のわらじで、山形のよさをもっと伝えていきたい

プロフィール

東京都・八王子市出身。明治大理工学部を卒業。大学院に進むも中退して、バンジージャンプのインストラクターとして働く。1年後に退職して、人材サービス会社の契約社員などを経て、講師事業の会社に就職。大手インターネット事業会社に出向となり、ECサイトへの出店を提案する講師を7年務める。同じ会社に勤めていた妻と出会う。妻を紹介してくれた知人の地元である山形県・鶴岡市を訪れ、山形に魅了される。妻がローカルブライトに入社することが決まり、夫婦で山形への移住を決意。2023年4月に自身もローカルブライトにジョイン。現在は農業とかけ持ちしながら、ふるさと納税のポータルサイト制作などを担当する。趣味は日本酒。

ローカルブライトにジョインするまで

大学3年生のころ、周りの友人たちが就活をする中で「このまま“普通に”就職をしてしまっていいのか。それが本当に自分が選びたい道なのか」と迷い、大学院に進学した。しかしそれもやっぱり何か違う気がして大学院を中退。そして「自分の枠をぶち壊すために、知っている人が誰もいないところで、まったくかかわったことのない分野で働いてみよう」と思い、知人が紹介してくれた、群馬県のバンジージャンプの会社でインストラクターをすることに決めた。そこは、社長がニュージーランド人で、ほかのスタッフも、訪れる人も外国人が多く、つたない英語を使いながら働いた。

バンジージャンプの会社は、ある程度の期間を区切って働こうと思っていたので、1年後に東京に戻ることに。何か仕事をしようと人材サービス会社の契約社員などを経て、26歳の時に講師事業の会社に就職した。そして大手インターネット事業会社に出向となり、その事業会社が運営するECサイトの出店を、各地の企業向けに提案する講師の仕事を任された。講師業は初めてだったが、バンジージャンプのインストラクターに共通するところがあった。それは、「一期一会の出会いの中で、短い時間で信頼関係をつくり、相手を決断に導くために、何かを『伝える』」という点。いつしか、このスキルをより高めていきたいと思うようになった。

最初の4年は日本全国を飛び回った。その時に日本の奥深さ知っていった。地域ごとに異なる特色のある文化・気候・食べ物があること。今の時代「海外に行くこと」に価値があると考える人も多いが、日本をより知ることで「日本も相当、広い」と感じるようになった。

そのころ、隣の部署で働いていた妻と出会い結婚。初めは都内で暮らしていたが、コロナが流行してお互いに出張もなくなり、広いところに引っ越そうと神奈川県・鎌倉市に移住した。それまで月の半分以上を出張で過ごしていたが、講座もすべてオンライン開催になり、自宅で働く日々…。次第に、うつうつとする気持ちが高まっていった。

ジョインを決めた理由

コロナが少し落ち着いたころ、私たち夫婦をつないでくれた人の地元だった鶴岡市に遊びに行った。そこで大きな衝撃を受けた。「山形やばっ!」と(笑)。空が広くて開けていて、温泉もサウナもあって、自分が大好きな日本酒もある。食べる物すべてが衝撃的においしい。食文化の深さに感動し、自分が欲しいものは「ここに全部ある!」と思った。

ちょうど妻も、前職の会社を辞めたいという話をしていて。その後もう1度鶴岡に行った帰り道で「山形に行っちゃおう!」と妻に話した。私の仕事はオンラインでできるので、山形でも続けられると思っていた。しかし会社に交渉するとNGという返事で…。それでも山形に行きたいという気持ちのほうが強かったので、仕事のことは移住してから考えることにした。

妻は前職でのふるさと納税の仕事を通して、ローカルブライトと知り合っていて、そのまま入社をすることが決まった。その縁で私もローカルブライトを訪問。CEOの鈴木とCOOの五十嵐と初めて会った時は、「この人たちは何者なんだ!?」と驚き、心を動かされた。内面的なことをとにかく大切にしていて、それが会社のビジョンにも表れている。2人の考えと私の考えていることが近くて共感もした。

ローカルブライトでの今

山形に移住した理由の1つに、農業に携わりたいという思いもあった。実は今ローカルブライトは週4日勤務で、週1日は五十嵐の奥さんの実家で農業を手伝っている。サクランボやブドウの収穫を経験した。農業から学ぶことは本当にたくさんある。人間の手ではどうしようもできない自然を相手にする仕事。実際に生産に携わることで、日本の食の奥深さを実感している。

ローカルブライトでの仕事も、農業も、感動することばかりの毎日。妻とその日あったことや小さな感動を話している。そうやって、2つの仕事と家庭があることでバランスが取れた生活ができていると感じている。山形に来て本当によかった。鎌倉の自宅に閉じこもる生活をあのまま続けていたら、いつか限界がきていたと思う。

これからのこと

私にとって「心をデザインする。」とは、自己理解と自己開示、その上での相互理解ということだと思っている。「心は自分と相手の間にある」と考え、相手にいい影響を与えるためにも、まずは自分自身にいい影響を与えられるかどうか。挑戦の機会や失敗という財産を糧に、心をデザインすることを、人生において大事にしていきたい。

また、夢は見るものではなく、始めるものだと思っている。山形に移住したのも、農業を始めたのもそう。山形には根を下ろす覚悟で来ている。ローカルブライトを通して地域に貢献していきたいし、山形の人が気づいていない山形の深い魅力を全国に伝えていきたい。特に食において、山形の「当たり前」の質はとても高い。県外の人に知られていない、素晴らしいものがたくさんある。それを伝えることで、山形に来る人を1人でも増やしたい。できれば移住もしてほしい。こうやって、日本の人たちが国内のいろんな地域に目を向けていけば、日本の産業全体が変わっていくという期待もある。ローカルブライトとしてできることもたくさんあるので、たくさんの人たちの心をデザインしながら山形を、日本を盛り上げていきたい。